D.C.WHITE について / ブランドディレクター 石原協

D.C.WHITE について / ブランドディレクター 石原協

初めまして、D.C.WHITEについてブログを書かせていただきます。ブランドディレクターの石原協と申します。

 

2016年、M.I.D.A.の販売代理店として始まった弊社(S&O Connect株式会社)のパンツ専業ブランドとして誕生しました。チノパン、ウールトラウザーズを作ったところがスタートでした。

 

ブランドスタート時に弊社生産担当の高橋さんと話し合いブランド名を

DISTRICT OF COLUMBIA  WHITE

という名前にしました。高橋さんが名付け親です。

 

 

そこには、コロンブスがヨーロッパからアメリカ大陸に渡った時のようにヨーロッパ文化がアメリカ大陸に渡った時に降り立った地区をコロンブスの土地=WHITE(純真な気持ち)として名付けたというストーリーを仮定し、アパレル産業に中で売上や利益や効率も考えないといけない中で生きている私たちも、いい物を作りたいという純真な気持ち=WHITEをもってモノづくりをしていこうというブランドの考え方が込められています。

 

そこで作られたパンツは、値段がある程度安価だったこともあり評価していただきました。

 

その後大手セレクトさんでの別注でセットアップなどをD.C.WHITEネームでの販売をしていきましたが、コロナの影響もあり全く注文が無くなる事態に直面致しました。

 

その時に、このまま服屋としてのキャリアが終わってしまうのかと絶望的になってしまった1年間程がありました。

 

「今が人生最悪の瞬間なのかな」と毎日考える日々でした。

 

そんな時に、どうせ服屋として終わってしまうなら最後に本当に自分の好きなことをやってやめようと高橋さんと話し合い、私と高橋さんにとっての最高に突き詰めた「究極の紺ブレ」を作ろうと決意しました。

 

今までの服屋として経験値、自分とは何か、すべてを注ぎ込んでいく意気込みでモノづくりを始めました。

 

自分自身が体育会ラグビー部でブレザーを着る機会が多くあり特別な思い、以前関わっていたHYPERIONというクロージングブランドでやりきれなかったブレザーへの思い、中学生のころに見た神戸製鋼ラグビー部の選手のブレザー姿の格好良さ。

 

あらゆる思いで「究極の紺ブレ」作りに入りました。

 

デットストックのウェストポイントとの出会い、白く落ちていく染料とは、ボタン博物館に行きアンティークのボタンを参考にオリジナルボタンを作っていこうとできることすべてやり切ってみました。

 

クロージング生産背景では難しいといわれるコットン素材であえてブレザーを作ることにも意味があり、アイロンでの中間プレスの利きにくい素材であるコットンを計算されたパターンと、きれいなナチュラルショルダー、袖のすわり、衿ののぼりなど、ここはこうあってほしいというスーツを作る者として学んだ知識をすべて詰め込みました。

 

 

 

これが2021年でした。

 

このリブランディングによってD.C.WHITEは少しだけ世の中の人に知っていただくことになり、ブランドの軸ができたD.C.WHITEは今の姿になってまいりました。

 

今後もアメリカ東海岸のアイビースタイルを現代的に解釈したD.C.WHITEらしくスタイルを突き詰め、歴史を大事にしながらも常に進化していくアメリカントラッドブランドになれるよう努力をしてまいります。

 

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